そもそも、パーマカルチャーとは?
この言葉は1970年代半ば、オーストラリアのタスマニアで、博物学者であり教師でもあったビル・モリソンと、その教え子デビッド・ホルムグレンの出会いから生まれました。二人は1978年に『パーマカルチャー・ワン』を出版します。「パーマネント・アグリカルチャー(永続する農業)」を縮めた言葉で、やがて「パーマネント・カルチャー(永続する文化)」へと意味を広げていきました。畑だけでなく、暮らしの場そのものをデザインする考え方です。
そう、要はデザインなのです。パーマカルチャーは数ある園芸技術のひとつでも、認証ラベルでもありません。森や草原、森の縁といった自然の生態系の仕組みに学び、ひとつの要素が複数の役割を担い、ひとつの必要が複数の要素によって満たされるように、生産の場を組み立てる設計手法です。モリソンは1988年に大著『パーマカルチャー:デザイナーズ・マニュアル』でそれを体系化し、ホルムグレンは2002年に『パーマカルチャー:持続可能性を超える原則と道筋』で、今では世界中の実践者の指針となっている12の原則にまとめました。
まずは、三つの倫理
技術の前に、羅針盤があります。パーマカルチャーのすべては、言うのはやさしく、守るのはむずかしい、三つの倫理の上に成り立っています。
- 地球への配慮——土、水、森、そして生きとし生けるものへ。
- 人への配慮——自分自身、家族、そして地域の人々へ。
- 公正な分かち合い——消費に節度を持ち、余剰を分け合うこと。
デビッド・ホルムグレンの12の原則
規則というより、土地を前にしたときに自分に問いかける問いです。
- 観察し、関わり合う
- エネルギーをとらえ、蓄える
- 収穫を得る
- 自己調整し、フィードバックを受け入れる
- 再生可能な資源とサービスを活かし、大切にする
- 無駄を出さない
- 全体のパターンから細部へとデザインする
- 分けるのではなく、統合する
- 小さく、ゆっくりとした解決策を選ぶ
- 多様性を活かし、大切にする
- 境界を活かし、周縁に価値を見いだす
- 変化に創造的に対応する
畑では、実際に
現場では、これらの原則は、多くの人が名前を知らずにすでに実践している手仕事になります。
- 土をいつも覆っておく——マルチング、緑肥、密植で土の生き物を養い、雨からも日差しからも守る。
- コンパニオンプランツ——科の違う野菜を混ぜ、根菜と葉物を交互に植え、益虫を呼ぶ花を野菜の間に添える。
- 堆肥と自家製の肥料——システムの一部から出たものが、別の部分の養分になる。
- 水の管理——段々畑、等高線に沿った溝、ため池で、水の流れをゆるめ、しみこませ、とどめる。
- ゾーニング——手のかかるものは家の近くに、放っておいても育つものは遠くに。
- 動物との共生——ニワトリやヒツジが草を食み、土を肥やし、循環を担い、恵みをもたらす。
- 食べられる森(フードフォレスト)——高木、低木、下草、つる植物が層をなす、自然の森のような畑。

写真:Wild on the Farm、家庭菜園
方法である前に、ひとつの哲学
つまるところ、パーマカルチャーは姿勢の転換を促します。「どうすればこの土地に無理やり作物を実らせられるか」ではなく、「この場所はもともと何ができて、私はそれをどう手伝えるか」と問うのです。絶え間ない介入より辛抱強い観察を、単一栽培より多様性を、一年きりの最大収量よりしなやかな回復力を選びます。モリソンはそれを、自然に逆らうのではなく自然とともに働くことだと言い表しました。決して革命的な考えではありません。そしてまさにそれが、私たちを19世紀のパリへと連れ戻してくれます。
1844年のパリ:首都が自分の野菜を育てていた頃
フランス語で近郊の野菜農家を意味する「マレシェ(maraîcher)」は、「マレ(marais)」、つまり湿地に由来します。パリのマレ地区にその名が残るように、町の門の外に広がる低く湿った土地で野菜が育てられていました。19世紀半ば、トラクターも化学肥料もまだなかった時代に、パリを取り巻く菜園の帯が、この都市の新鮮な野菜のかなりの部分を一年じゅう支えていたのです。
その姿を今日くわしく知ることができるのは、二人の菜園農家、J.-G.モローとJ.-J.ダヴェルヌのおかげです。彼らは1844年に農業協会のコンクールで入賞し、1845年に『パリ近郊野菜栽培実用手引』を出版しました。鉄道と工業がまもなくすべてを変えてしまうことを予感しながら、「1844年のパリで営まれていたままの」仕事を書き残したのです。その数字には目を見張ります。パリ周辺の菜園は1,378ヘクタール、平均約7,600平方メートルの1,800の菜園に分かれ、9,000人が働いていました。一つの菜園におよそ5人です。
その秘訣は、見事に筋の通った仕組みにありました。当時のパリには数万頭の馬がいて、その馬ふんこそが菜園農家にとっての宝でした。馬ふんを積んで温床をつくると、発酵して穏やかな熱を生み、真冬でも種をまくことができました。その上に少し腐葉土を敷き、ガラス枠のフレームやガラスのベルクロッシュをかぶせます。農家全体で約36万枚のフレームと200万個を超えるクロッシュを持っていたといいます。役目を終えた馬ふんは極上の腐葉土となって土に還りました。野菜をレ・アール(中央市場)へ運んだ荷車は、帰りには町の馬ふんや泥を積んで戻ってきたのです。
深く肥えた苗床では、作物は密に、そして混植で育てられました。育つ速さの違う野菜を一緒にまき、一方を収穫するあいだにもう一方が場所を引き継ぐのです。当時の記録によれば、同じ区画で一年に6回から8回も収穫できたといいます。
時代を先取りしたパーマカルチャー実践者? そうとまでは言えませんし、そう言い切るのは誠実ではないでしょう。パリの菜園農家は市場と 走りの野菜に目を向けた商売人で、身を粉にして働き、大量のガラスと人手に頼っていました。 それでも彼らは、その言葉を知らないまま、ホルムグレンが150年後に言葉にする原則のいくつかを 実践していました。無駄を出さない(町の馬ふんを熱に、そして腐葉土に)、 エネルギーをとらえ、蓄える(フレームの下での発酵)、 小さく集約的な解決策を選ぶ、そして町と菜園を分けずに統合することです。
やがて、そのすべてがほどけていきます。都市の拡大は菜園をどんどん外へ押しやり、鉄道は遠くの地方から野菜を運び込み、自動車が馬に取って代わり——それとともに馬ふんも消え——、化学肥料が古い知恵を近代農業にとって不要なもののように見せてしまいました。パリ20区の「マレシェ通り」が、今もその記憶をとどめています。
けれども、知恵そのものは旅を続けました。1909年、イギリスのジョン・ウェザーズが『フレンチ・マーケット・ガーデニング』を出版し、この手法を海峡の向こうへ伝えます。より最近では、アメリカのエリオット・コールマンがメイン州での冬の栽培に大いに取り入れ、カナダ・ケベックのジャン=マルタン・フォルティエも、バイオインテンシブな「マーケット・ガーデナー」の手法の一部をここから築きました。モローとダヴェルヌの手引書そのものも、2016年にフランスで復刊されています。パリの古い知恵は、堂々と表舞台に帰ってきたのです。

写真:Wild on the Farm、家庭菜園
パナマめぐり:熱帯のパーマカルチャー
熱帯は、パーマカルチャーにとって理想的であると同時に、手ごわい土地でもあります。一年じゅう何でも育つという意味では理想的。けれども激しい雨はむき出しの土を洗い流し、太陽はそれを焼き、単一栽培はすぐに害虫を呼び寄せます。森はずっと昔にその答えを見つけていました。土を覆い、植物を幾層にも重ね、有機物を絶えず循環させること。パナマの実践者たちが森に学ぶのも当然です。
実のところ、その言葉が生まれるはるか前から、この地峡の先住民の人々は、果樹や根菜、薬草、カカオが大きな木々の下でともに育つ混植の畑を営んでいました。現代のパーマカルチャーは、そのアグロフォレストリーを再発見したにすぎないのです。
カリブ海側、ボカス・デル・トロ
パナマでもっとも多くのパーマカルチャーのプロジェクトが集まっているのは、おそらくボカス・デル・トロ諸島でしょう。バスティメントス島のオールドバンク村の上手にある**アップ・イン・ザ・ヒル(Up in the Hill)は、2003年からカカオ、コーヒー、果物、ココヤシ、ハーブをパーマカルチャーで育てています。「ピュア・ツリー・エクスペリエンス」の名で行われるガイドツアーでは、カカオが木からチョコレートになるまでをたどることができます。コロン島では、ボカスの町から数キロの海沿いにあるフィンカ・フローラ(Finca Flora)**が、1ヘクタールの土地で熱帯果樹、野菜、採卵用のニワトリ、そしてボランティアの受け入れを軸にしたパーマカルチャーの場を育てています。
牧草地から食べられる森へ
国内のほかの地域でも、とてもパナマらしい課題に取り組む家族経営の農園が増えています。疲れ果て、踏み固められたかつての牛の放牧地に、ふたたび命を吹き込むことです。**フィンカ588(Finca 588)**もそのひとつ。家族で営む環境再生型の農園で、放牧地を食べられる森へと変えながら、養蜂、チーズづくり、発酵食品に取り組み、年に数回、一般向けの実践ワークショップも開いています。
チリキとボケテの高地
太平洋側のチリキ高地は、まったく異なる気候に恵まれています。標高、ひんやりとした空気、雲霧林の霧、そして非常に肥沃な火山性の土。ボケテでは、協会**ラ・ビダ・オルガニカ(La Vida Orgánica)**がパーマカルチャーや水耕栽培、アクアポニックスを広め、いくつかの小さな農園が火曜日の市場のために農薬を使わずに野菜を育てています。そしてここ、標高1,800メートルで、私たち自身の物語が始まります。

写真:Wild on the Farm、家庭菜園
Wild on the Farm:フィンカ・デ・ラ・アミスタッド・ベルデから今日まで
Wild on the Farmは、もともと**フィンカ・デ・ラ・アミスタッド・ベルデ(Finca de la Amistad Verde)**という名前でした。2008年、ラ・アミスタッド国際公園の縁に接するボケテの高台に開かれ、2010年にはバイオ・ラティーナ(Bio Latina)によってパナマで初めて有機認証を受けた野菜農園となります。当時はパナマシティのオーガニック食料品店「エル・メルカディート・ビオロヒコ」に野菜を届け、谷の農家仲間とともに、それまでこの国では手に入らなかった野菜の品種を持ち込みました。
18年がたった今、農園は名前を変え、マカダミアへと軸足を移し、緑の屋根をもつ三棟のキャビンで訪れる人を迎えています。けれども考え方は変わっていません。化学的な資材を使わず、この土地がもともと与えてくれるものを頼りに、健やかな食べものを育てること。ホルムグレンの原則に照らして農園を見直すと、そのほとんどが息づいているのがわかります。
- エネルギーをとらえ、蓄える——電気は太陽から、水は国立公園の中にある湧き水から。
- 無駄を出さない——ヒツジやニワトリのふん、畑と台所から出たものは堆肥になり、ふたたび苗床を養います。
- 再生可能な資源を活かす——工業的な肥料は使わず、そのために農園で育てたイラクサ、コンフリー、チトニアを発酵させた自家製の肥料を使います。
- 分けるのではなく、統合する——ヒツジは土地を手入れし、ニワトリは卵を産んで堆肥を耕し、花は野菜を守ります。
- 全体のパターンからデザインする——急な斜面では、ブロックで縁取った段々畑が土と水をとどめ、輪作の畑を形づくります。
- 多様性を大切にする——野菜、ハーブ、薬草、花、マカダミア。そのまわりを手つかずの雲霧林が囲んでいます。
- 境界を活かす——畑と森の境目には、鳥や益虫が暮らし、運がよければケツァールにも出会えます。

写真:Wild on the Farm、家庭菜園
私たちが食卓に出すものは、まずこの段々畑から生まれます。その朝に摘んだ旬の野菜を、搾り取るのではなく養う火山性の土で育てています。決して派手なことではありません。1844年のパリと同じ、そして今日のボカス・デル・トロと同じ考え方です。よく観察された生きた場所は、敬意をもって接すれば、惜しみなく恵みを返してくれるのです。
Wild on the Farmにご滞在のお客さまは、菜園を散策し、段々畑や堆肥、植物の発酵液を見学し、そこから生まれたものを毎日味わっていただけます。パーマカルチャーを理解するいちばんの方法は、やはりそれが育つさまを見ることです。
主な参考資料:David Holmgren『Permaculture: Principles and Pathways Beyond Sustainability』(2002年)、J.-G. Moreau & J.-J. Daverne『Manuel pratique de la culture maraîchère de Paris』(1845年、Éditions du Linteauより2016年復刊)、Revue Sesame(INRAE) 「Moreau & Daverne, influenceurs oubliés」、Vergers Urbains、New Society Publishers、 Pure Tree Experience / Up in the Hill、Finca Flora、Finca 588の各公式サイト。
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